四諦の心理 その2『集諦:「苦には原因がある」であるという真理』
こんにちは、ヒラテンです。
先日こんなつぶやきをしました。
四諦の真理
— ヒラテン@浜松 (@freemangarage) 2020年2月21日
二つ目 集諦(しったい)
「集」というのは「集起(しゅうき)」の略で「原因」という意味です。ですから集諦は「苦には原因がある」であるという真理です。
原因は割愛(欲望や物事に執着する心)と説いています
簡単に書いたので、ここで解説していきます。
集諦は「苦には原因がある」という真理です。
欲望の多い人ほど苦しみが多くなります。
良い学校へ入りたい。良い会社に入りたい、人よりも出世したい、良い自動車を買いたい、好きな彼女と一緒になりたい、人に認めてもらいたいなど人の欲望には限りがありません。
しかし、世の中は自分の思うようにはならないことばかりです(諸行無常、諸法無我)。ですから、このようにいろいろな割愛が原因となって苦しみが生ずるのです。
上記について少し説明を入れていきます。
諸行無情ー『全てはうつり変わるもの』
世の中のあらゆるものは一定ではなく、絶えず変化し続けるという意味です。
世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態のものは何一つありません。
それにも関わらず、私たちはお金や物、地位や名誉、人間関係や自分の肉体に到るまで、様々なことを「変わらない」と思い込み、このままであってほしいと願ったりもします。
それが「執着」へと繋がるのです。このような苦しみにとらわれないためには、ものごとは必ず変化するのだということ、全てが無情の存在であることを理解することが大切です。
諸法無我ー全ては繋がりの中で変化している
全てのものごとは影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものなどない、という真理です。自分のいのちも、自分の財産も、全て自分のもののように思いますが、実はそうではありません。
世の中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与えあって存在しています。
自然環境と同じように、絶妙なバランスの上に成り立っているのです。
こう考えてると。。
自分という存在すら主体的な自己として存在するものではなく、互いの関係の中で『生かされている』存在であると気がつきます。
今日は以上で終わりにします。
では、